奈良公園の植生の特徴は、すでに述べたように、暖帯南部、亜熱帯系、温帯系、寒地性のそれぞれの植物が混在していることです。
それが200メートルから500メートルの山塊のなかにあるのです。
長い時間の過程が、こういった混在を可能にしたのでしょう。
この長い時間の蓄積はコジイ(ツブラジイ)、ウラジロガシ、リンボク、イズセンリョウ、テイカカズラなど日本の暖帯林を代表する気候的極相をつくりあげました。
このなかでもコジイ林が多くを占めています。
しかし、この原生林も現在大きな問題をはらんでいます。
奥山ドライブウェイの開通によって排気ガスや砂塵による被害が目立ち始めています。
その他台風やナンキンハゼなどの陽性の樹木の林内侵入などがありますが、シカの存在も無視できません。
原生林内に生息しているシカは、原生林の正常な更新の障害となる恐れがあるのです。
新芽や未生苗を食べるからです。
ヨーロッパでは森林が正常に更新してゆくためには、100ヘクタールにつき5頭までとされていますから、600ヘクタールに千頭がいる奈良公園での過密性は原生林にとっても重要な課題なのです。
奈良公園の植生について特につけ加えておかねばならない特徴は、人為的な介在であり、それは代償植生といわれるものです。
第一の理由は、シカが神鹿であったこと。
第二は、グリーンスペースコレクション的自然生態系を撹乱させるおそれのあるシカの放し飼いですが、森の構成が実に巧妙につくられており、それが逆に曲豆かな自然の生育に寄与している面がみのがせないことです。
春日大社のシカは神鹿です。
常陸国鹿島神宮の神がシカにのって春日御蓋山に降臨になり、そのシカの子孫が繁栄したと縁起ではされています。
したがって春日の神鹿をみることは吉祥でした。
このようにシカが神の使者である神話は、日本各地にもみられ、上代からシカとの関係は深かったのです。
シカは森林のなかに群生して生活していますから、シカを神の使者とする思想は、その森林を聖なる領域とすることにつながります。
シカは古くから狩猟の対象でしたが、国や神社の縁起では、シカを捕獲することに対して人間に罰を与えたというものが多いのです。
そこにはシカの乱獲によって、生態系のバランスがくずれることに対するタブー意識が働いていたのです。
奈良公園に野生のグリーンスペースコレクション的な自然が生きづいているのは信仰によって、その自然が千年もの長い間大切に保護されてきたからです。
これだけの質の高い生態系が保たれたのは、シカの存在抜きに考えられないでしょう。
常識的には、シカがいれば、木の苗や新芽をつんでしまい森は育ちません。
天然記念物に指定されているニホンカモシカは、造林地域に進出して造林された幼苗を食べたり、木の皮をはいだりする被害をもたらしています。
実際、あとでも触れますが、千頭近いシカのいる奈良公園一帯では、餌を確保するだけでも大変なのです。
自然の状態からいえば、公園は広いとはいえ、明らかに過密状態となっています。
シカの餌はセンベイなど人為的にも供給されていますが、それは食物の一部にすぎません。
シカの餌の大半はシバ地の草本などが主体であり、適当なシバ地の広がりが確保されねばなりません。
しかし森の原始性を保つためにはシバ地の拡大は最小限に押えたいもの。
また冬場のシカの餌は樹林内のスズメノカタビラ群落などですが、群落が育つためには、樹林内の植栽密度がうまく調節されねばなりません。
このように、シカが生育するためには、逆に森林の原始性を後退させる必要が生じてくるのです。
しかし、それにもかかわらず、シカの存在は逆に森林の原始性をより高めているのではないかと考えます。
100ヘクタールの広さのなかに、千種に近い多種多様な植物が生育していることはおどろくべき事実です。
この多様な植生には、暖帯南部あるいはインド、マレー系の熱帯植物要素や温帯の植物要素、襲速紀植物要素が渾然一体として繁茂しています。
動物では、ニホンジカ、ムササビ、タヌキ、リス、モリアオガエル、カスミサンショウウオ、ヤマビルが生息しています。
また熱帯系の昆虫など珍しい種がおり、天然記念物指定物件は、ナギの純林、ルーミスシジミの生息地2カ所、ウワミズサクラの巨樹など3件があります。
まさに一つの山に極相の自然が生きついているのです。
一つの山にこれだけの多種多様な生物相がみられるのは、自然地域でも他に類をみないでしょう。
春日山一帯が原生林のまま保存され始めるのは相当古いです。
古代の信仰では山の神といわれ聖域とされてきましたが、この原生林に狩猟伐採の禁制という形で実際の勅命が下されたのは、ずっと時代が下って平安時代中期の承和8年(841)のことです。
これによって、春日山の神山化が正式に決定されたといえます。
当時、国風文化が興隆し、古代の祭政一致思想が頭をもたげ、神社の祭祀の振興が叫ばれました。
狩猟伐木の禁は、いわば今日の「天然記念物春日山原始林」の始まりとでもいえるでしょうか。
この禁制の勅命からでも、この原生林はゆうに千百年以上の年月を経ています。
したがって、それ以前の神体山の時代を入れれぼ、この森は途方もない長い年月を重ねて今日に至ったことになります。
しかし、春日の森は厳密な意味での人跡未踏の原生林ではありません。
狩猟伐木の禁は人跡の侵入さえ許さない厳しいものでしたが、のちに寺城が建立されるなどしだいに人工の部分が森林を侵しました。
また、興福寺の記録でも風害があった後は補植され、また豊臣秀吉が一万本の杉苗を補植したといわれるように、古代から、グリーンスペースコレクション的原生林的な植生を保つために手入れされ、保全されながら今日まで至ったといってよいでしょう。
和銅元年(704)、元明天皇は
「方今平城の地は四禽図に叶ひ、三山鎮をなし、亀笠並び従ふ。宣しく都邑を建つべし」
・・・と平城への遷都の詔を発し、新京、すなわち平城京建設に着手することを宣言しました。
その2年後に遷都が実現され、奈良山の南の平地を舞台に壮大なグリーンスペースコレクションのような首都が建設されます。
東の春日野台地には、新京が設けられ、次つぎに大寺院が建立され、春日野の野辺は、万葉集にもたびたび出てくるように、狩猟、梅の観賞など人びとの遊興の地として親しまれるようになりました。
平城京建設以前には、この地は春日氏系氏族が支配しており、春日の国とも呼ばれていました。
その東の500メートル足らずの春日山は早くから神体山として氏族のシンボルとしてあがめられました。
その春日山の西に御蓋山があり、春日山とともに、神奈備山として神祇信仰の対象とされました。
この神山の礼拝の場として、御蓋山の西麓に「神地」が設けられます。
東大寺山堺至図には、方形の地を区画し「神地」とかかれています。
維持管理には大変な努力がかかります。
周辺住民へのシカの害があり、シカの方でもこの人工的環境のなかで多くの障害がみられます。
原生林も台風や、外来植物の侵入など自然生態系の維持にはほとんど知られていない地味な努力が積み重ねられているのです。
文化はもともと反自然的行為を含んでいます。
人間は、自然に働きかけて文化をつくります。
カルチャーは土地を耕すというcultivateの意味からきているように、農業地の第二次自然をつくり、さらに三次自然というように自然から遠ざかります。
グリーンスペースコレクションは反自然の方向の一方の極です。
この極と野生の共存がいかに困難であるか、文化の本質を知れば明らかでしょう。
奈良公園の事例は、このありえないものが実際にありえたという素晴らしいモデルなのです。
わたしはこの会に何回か出席して、奈良公園の維持管理に大変な労力がさかれ、さまざまな問題が含まれていることにまずおどろかされました。
同時に、この公園のもっている価値が、グリーンスペースコレクションにおける自然のあり方に大きな示唆を与えうることを再発見したのです。
日本は先進工業国であり、可住地面積当たりの人口密度の最も高い、世界でもたぐいまれな空間形態をしています。
なおかつ公害と環境破壊が進んだ国です。
そのなかの20万グリーンスペースコレクションの市街地地区に隣接して、千年以上の樹齢をもつ原生林があり、大型哺乳動物であるシカが市街地まで進出して、放し飼いにされています。
そのシカはもちろん、人の餌付けや角切りなどさまざまな人間の干渉があるものの、少なくとも動物園のようにオリのなかに飼育されているのではありません。
自然の状態にできるだけ近い状況に近づけようとされているのです。
大型の哺乳動物は自然状態においてはその地域の王者、つまり頂点に立つものです。
したがって大型哺乳動物の存在そのものが、その地域の自然の高さを物語っているのです。
シカが公園だけでなく、寺社境内、そして市街地にまで放し飼いにされているだけでも、ユニー
クです。
しかし、公園をより魅力あるものにしているのは、他の多くの公園にある垣根がないことにつきるでしょう。
垣根のない公園・・・
どこからでも、いつでも無制限に公園に入ることができます。
いつのまにか寺社の境内や博物館に入っています。
そして、グリーンスペースコレクションのような自然や歴史的な環境にとけ込んでゆくことができるのです。
これは明治政府が、過去の文化財や宗教地を民衆に公園として開放しようとしていた、その努力を示すものです。
奈良公園には何回となく足を運んでいたわたし。
しかし、さらに興味をもつに至ったのは、昭和55年、奈良公園開設100年を迎えて、奈良県がこの素晴らしい公園を今後さらに100年、どのように守り、育ててゆけばよいかという奈良公園将来構想検討委員会の一人に起用されたことからでした。
公園内ではありませんが、この地域一帯は平城京建設当時における、外京に当たり、わが国が誇る文化財が集中して立地しています。
総国分寺である東大寺、興福寺、春日大社、元興寺をはじめとし、古代から中世にかけて、全国の宗教の中枢拠点としての機能を果たしてきました。
さらに近代では国立奈良博物館などの文化施設をはじめ、奈良県庁などまさしく、行政、文化の中枢機能を果たしています。
このような内容と規模をもつ奈良公園は、いわば自然公園、歴史公園の両方の性格をもつと同時に、奈良市にとっての行政、文化センターとしての性格をもっています。
そのため、全国でも類のないものとなっているのです。
さらに、この良好な環境のなかに、これもきわめて類のない大型哺乳動物であるシカが放し飼
いにされています。
市民の憩いの場であるだけでなく、内外の観光客を年1500万人も集めるだけの魅力をもっているのです。